「ゆるやかな死」

ツイッターで見かけた深津貫之氏の記事「デザイナーとしての『ゆるやかな死』」を読んだ。

記事の中で語られる事実-決定的なアウトプットの低下が持続してきたつもりのセンスをじんわりとかつ確実に殺してゆく-は、ものを生み出すことを生業としない自分にも共感してしまえた。

 

かつてのバイト仲間から聞いた話を思い出した。

飲みの席では、隅っこにいる子にも上手に話題を振って盛り上げ役に徹するような彼。

自宅では録画したアメトークを夜な夜な見返し、良いと判断したやりとりのパターンをわがものにできるよう訓練しているのだそう。

かれこれ四年の付き合いになるが、彼がオリジナルにもっているユーモアや頭の回転の速さには会うたび感心させられる。

 

当のわたしはというと、おしゃべりに自信がない。

女の子たちがよくする自然発生的な井戸端会議には、思春期早々には脱落していた。

お気に入りの大学教授とも、機会がありながらリアルタイムで言葉を紡ぐことができず、適当に誤魔化してしまって後悔した記憶がある。